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fl.a1. 2020年10月11日(日)❁フラワーデモみえin津❁田中茂二郎さんのスピーチ

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フラワーデモみえ、津の田中茂二郎さんのスピーチです。

(以下、本文)

わたしがここに立ってお話する理由(ワケ)
2020年10月11日(日曜日)
田中茂二郎 (タナカモジロウ) 津市民69歳 

 だいぶ以前のことですが、わたしは何人もの別々の女性たちから性的嫌がらせ、性暴力を受けた身の上話を聞いたことがあります。


彼女たちの年代や置かれた環境はさまざまでしたが、どの話にも共通するものがありました。それは職場の上司であるとか多数対一人といった抗えない状況下での〈関係性〉を利用した狡猾で暴力的なやり口でした。気が付いたときは、イヤだと思ってもどうしても抵抗し切れなかったし、そのことをどこへも訴え出ることもできなかった。それを彼女たちはけっして忘れることのできない辛い記憶としてわたしに語ってくれました。比較的軽いほうでは、妹や妻からも体験を聞いたことがあります。


当時若かったわたしは、話してくれた女性たちに同情はしても、いま振り返れば、その口惜しさをよく理解していなかったと思います。


理解が不十分だった理由の一つは、わたしが男性であることに起因していると思います。ジェンダー差別が社会のおおもとに存在していることは理解していましたが、女性たちが日常的に性暴力の被害に遭っていること、そのことで女性たちがつらい思いを耐えていることになかなか気付かず、想像力も足りませんでした。


わたしは法学部を出ていますけれど、当時は刑法性犯罪が明治40年以降、ずっと変えられずにきたことを知りませんでした。そしてフラワーデモに参加するようになってから、3年前にいくつかの重要な改正を勝ち取ったことや、にもかかわらず「公訴時効」、「暴行脅迫要件」、「性交同意年齢」、「地位関係性を利用した性行為」といった諸課題が残されたことを知ったのです。法学士失格です。
なぜ女性への性暴力の問題がこの国ではこれほど無理解のまま放置されてきたのでしょうか。


第一に、言葉の問題があります。「セクハラ」とか「痴漢」とか「いたずら」といった軽い表現は、事態の深刻さを正確に言い表していません。わたしが若い頃は「セクハラ」という言葉さえありませんでした。「セクハラ」が社会的に定着したのは1989年の「新語・流行語大賞」を受賞してからのことです。女性たちは、その忌まわしい行為に初めて言葉が与えられたことで、みずからの被害は多くの女性たちに共通するものなのだと気づいたのでした。


しかし「セクハラ」では言葉の響きが軽すぎます。ことの本質は男性による性暴力犯罪です。犯罪行為をできるだけ軽い響きの、いたずら的な水準に薄めるような日本語の意識的操作が男性権力者のなかでずっと行われてきたのです。


第二に刑の軽さです。3年前の改正以前の強姦罪の法定刑は「3年以上の有役」でした。わずか3年です。


第三に、社会に蔓延するポルノ文化です。大人と子どもの世界の棲み分けのない日本社会のポルノ文化の氾濫は枚挙に暇がありません。


第四に、不十分な性教育です。必要な性教育が与えられないまま、子どもたちはポルノ文化の洪水に晒されています。


第五に、明治維新以降の日本が家父長制という男性中心社会であるということです。これがこの問題の根本に在ると思います。戦前は軍国日本の富国強兵を銃後で支える装置として女性性が最大限に搾取されました。女性は二級市民の地位に貶められ、強い兵士を産む機械でした。また花柳文化にみられるように、女性は男性を楽しませ、支える役割を求められました。朝鮮半島やアジア大陸での日本軍による戦時性性暴力はその延長線上にあったのです。


極端な男尊女卑文化は新憲法の下の戦後では陰に隠れましたが、形を変えて社会の中に隠然と生き続けてきました。男性からの「セクハラ」は受け流しなさいといった同調圧力が女性たちを苦しめてきました。そんな男性に甘い性文化が今も日本社会のなかに根付いています。


性暴力は仕方のないことではありません。この問題の根源は男性の性欲にあるのではなく、性犯罪やポルノ文化に甘い社会の風潮にあります。性欲は理性によってコントロールできますし、事実ほとんどの男性は理性的抑制をしています。それが人間の文化です。


フラワーデモが始まったきっかけは、昨年の春先に出された一連の性犯罪被告の無罪判決に対する女性たちの失望と怒りからでした。


近代の人権社会の根本原則のひとつは、「自分たちのことは自分たちで決める」というものです。堕胎の問題にしても性暴力の問題にしても、男性たちだけで決めないで、わたしたちの声、被害者の声を聴いて、というのがフラワーデモの出発点でした。黙らされて闇に葬られた多くの受難女性たちの声なき声がやっと聞こえるようになったのです。


そうするとまた心ない政治家から「女性はいくらでもウソをつける」とバッシングを受けました。女性の人権を守ろうと運動が高まってくると、いつも反動の石つぶてが飛んできます。しかしどんな圧力を加えられても、もう女性たちは黙ってはいないでしょう。「こんな被害はわたしだけでたくさんだ」と勇気を出して声を挙げ、国内外の仲間と連帯してたたかっていくことで希望の灯りが見えてきたのですから。言葉を返せば、いくらでもウソをつけるのは杉田水脈議員、あなた自身のことでしょう。杉田議員は即刻辞職すべきです。


コロナ禍のなか、女性たちに性暴力の被害が増えています。現代の女性をめぐる苦しみのすべての糸は、この国の家父長的な古い社会の体質と、効率性第一の新自由主義的な政治経済の構造に収斂していきます。女性への性暴力をなくしていこうという運動は、女性を中心とした独自の運動として発展させなければなりませんが、同時に、この国の政治経済の構造を変えていくたたかいに合流していくことが必要だと思います。


男性のわたしがフラワーデモに一緒に立つようになった直接のきっかけは、1年前、お母さんと二人きりでこの場所でスタンディングアピールされた長田伊央さんの勇気にインスパイアされたからです。


ですが、わたし自身のためらいを吹っ切ることが必要でした。これまで女性たちをつらい目に遭わせてきたこの国の男性中心文化やポルノ文化に無意識でも加担してきた一人ではないのかと思うからです。ですので、ここに立ってお話するのは気が引けました。


しかしこれは人権のたたかいなのです。人権に男も女もありません。女性の人権が損なわれるときは男性の人権も損なわれているのです。これを契機として、私自身を変えていかなければなりません。


 フラワーデモや〈Me Too With You〉の運動は、黙らされている女性たちに「もう声を出してもだいじょうぶ」と励ますことができます。そして行く手を照らす連帯の道を示すことで深い傷を癒し、女性の心身を再生・恢復させていくパワーを持っています。このひどく歪んだ日本社会の解放は、女性が解放されることなくしてあり得ません。わたしもそのたたかいの一端に加わる決意です。ご清聴、どうもありがとうございました。

(本文終わり)

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(約3000字)